ontology.365(シワス二週目)
「今年一年ありがとうございました。総括!」 【↑贅沢しました】 コバ・ジュンです。 2019年、令和元年ももう間も無く終わりますね。そんなわけで、今年の総括をしていきたいと… って、夏に左足を骨折してからはほとんど何もできていないので、個人の一年としては特に書くことなし!いやね、この歳になって「骨折」ってのがどれだけ大変かよく分かりました。だっていまだにまともに歩けてませんし。初期治療の失敗だよねえコレ。訴えましょうかしら。手術したらもっと早く治っていたのかなあ。ずっとこのままだったら嫌だなあ。 人生初の骨折ということもあり、個人的には大事件でありました。そして、そんな中、差し入れを頂いたり、松葉杖を使わなくても歩ける器具をお貸し頂いたり、家周りの整理を手伝いに来て頂いたりと、たくさんお世話にもなりました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。 さらには、今までの仕事もできなくなってしまった中、在宅でできる新しい仕事を紹介してくれたり、ライブに行くために車を出して頂いたり、感謝感謝の一年となりました。これからきちんと恩返しをできていけたらと思います。 ああ、もう紅白が始まる(まだか。現在15時過ぎ)。今年も終わるんだなあ。来年こそは今年何もできなかった分、バリバリと働けるよう、動けるよう、頑張っていきたいです。 第九も無事に聞きました。すでにビールも4缶空きました。いけね、これ年明けまで持つのか?そうそう!先ほど年内最後の買い出しに行ったのですが、お値段が¥7,000を超えてしまうという爆買い。まぁ「年末」ということでこのくらいは散財しても良いでしょう。 そんなこんなの一年総括でございました。新しい年も、コバ・ジュンをどうぞよろしくお願いいたします。 よいお年を。
「まだこんな夢が残っていたのか」 【↑岡村トモ子さんのNew Album】 コバ・ジュンです。 めっちゃ急いでこの日記を書いています。だって、今年も残すところあと3日。なんとか今日中にこいつをあげて、あと2日分書きたいもの!という思いで書こうとしたのは良いのですが、結構な「重厚テーマ」でして、あと30分程度の時間で書き終わるかなあと(現在23:25)。 まぁそんなことは無視して、今はまだ人生を語らず、とにかくキーボードを叩いていきたいと思います。 さて、皆様は12/22(日)に行われた「M-1グランプリ2019」をご覧になったでしょうか。ボクはチャランポライブがあったため、リアルタイムでは観られなかったのですが、後に録画で見ました。 グランプリを獲得したのは、正直まったく無名と言っても良い「ミルクボーイ」さんでした。決勝に残った他の二組は、こちらも特に名の知られていなかった「ぺこぱ」さん、そしてすでに名を知られている「かまいたち」さん。素人目に見て、記憶に残ったのは、ミルクボーイさんとぺこぱさんでした。 webの意見を見て「なるほどなあ」と思ったのが、「決勝には、昭和、平成、令和の漫才が揃った」というものです。実にうまい例えだなあとは思いました。 いかにもな昭和の「掛け合い漫才」を提示し、それを見事に表現した「ミルクボーイ」 予定調和的な漫才ではなく、少しひねった平成の笑いを持ってきた「かまいたち」 ひねりにひねった土壌の中、もうこれ以上の笑いはどうすれば?というところで令和の笑いを持ってきた「ぺこぱ」 別にボクはお笑いを評論するつもりはないですし、単純に「その日その時見たもの聞いたもの」で面白かったものを「すげえ!」と思っちゃう単純な人ですので、そうするとやはりこの日、いちばん笑ってしまったのはミルクボーイさんとぺこぱさんなのです。分析とかするほどの能力は持ち合わせていないので、「単純に、誰が、この日、一番、面白かったか」で決めてしまいます。 そうなると、ミルクボーイさんとぺこぱさんになってしまいまして。 あ、もうすぐ日付変更線を超えてしまう。その前にこの日記を書き終えねば。 今回一番感じたのが「まったく無名、あるいは実力があるのに売れていない芸人さんが、この日の結果を境に人生が変わってしまう」ということです。これは、2007に敗者復活戦から勝ち上がって優勝を手にしたサンドウィッチマンさんに通ずるものがあり、そこにボクは「夢」を感じました。やはりM-1はこうでなくてはいけないし、日本の社会にも、こういうアメリカン・ドリームに似た何かがなくてはいけないなと。 新しいものを発明したとしても、企業の業績になってしまうんではつまらないじゃないですか。その個人がどれだけ努力して、その技術を仕上げたのだか。そこに評価をして欲しいです。そんな未来を望んでいます。 ミルクボーイさんが最高得点を上げた瞬間、あるいは、ぺこぱさんが決勝に進んだ瞬間、本当に涙が出てしまうくらい感動しました。だって、そこには「おもろい」「おもろない」というしっかりとした一般の人の目線も含まれていたのですから。「本当に面白い芸人さん、今まで日の目を見ることのなかった芸人さん」。こういった方達が一年に一度、普段は迫害を受けているかもしれないけど、なんとか輝ける場が「M-1」なのかもしれないなあと、強く強く思いました。 とにかく「ミルクボーイ」さん、優勝おめでとうございます。最高の漫才でした。腹が痛くなるほど笑わせて頂きました。 ではまた。
「年の瀬ですね」 【↑鶏胸肉のハーブ焼きを作ってみました】 コバ・ジュンです。 2019年も残すところあと4日。早いものです。 そんな中、ボクは太ったりライブ観に行ったり太ったりしています。どうすればいいのでしょう。昨日なぞは、電車の窓に映る自分の姿を見て愕然としてしまいました。一体このボクがどんな悪さをしたというのでしょう。悲しみ。あ、この「悲しみ」ってのは、最近若者がよく使う「嬉しみ〜」とかと同じイントネーションで読んでくださいね。せーの、 まぁ、それは置いといて、ここのところ、こんな感じでライブを観に行っておりました。 12/21(土) 浦賀クリスマスJAZZライブ ベイブリッド・サウンズ・オーケストラ with HIDEKO in 浦賀コミュニティセンター 12/22(日) チャラン・ポ・ランタン×コレサワ in 横浜赤レンガ倉庫1番館 12/27(金) 岡村トモ子soro project vol.24 in 東新宿petit moa どのライブも心の底から楽しむことができました。今年下半期は骨折により諦めたライブが多かったのですが、ここにきてなんとか取り戻せた感じです。 やはり音楽っていいですね。映画や舞台は、仕事柄でしょうか、どうしてもストーリーを追うよりもあっちゃこっちゃに興味がいってしまうのですが、音楽は単純に「趣味」なので、「ああ、素敵な夜だった」と思うことができます(もちろんコードやら楽器やら照明やら機材に目がいってしまうのではありますが)。 そんなわけで2019年のライブも納めました。あとは家で年賀状でも作りながらのんびりと過ごしたいです。大掃除は…今年はいいか!先日網戸の張替えや障子の張替えで頑張ったしね。まぁ換気扇くらいはやっておこうかな。そんな年の瀬です。 ではまた。
「そしてまたひとつ」 【↑アメスピからのプレゼント】 コバ・ジュンです。 先日、一年ぶりに誕生日を迎えました。ボクが元いた惑星では、一年に何歳も歳をとる、逆に何年も歳をとらない方がおりましたので、地球圏で過ごすようになって、地球の重力に捉われた愚かな知識人になってしまったことによって、365日経過すると、必ずひとつ年齢が上がってしまうようになったのです。 SNS他、たくさんのお祝いメッセージをいただきました。心より嬉しく、そしてありがたいです。もちろんひとつひとつ目を通して、さらにはキチンと返信もしたいのですが、年末でいろいろ立て込んでおりまして、少しだけ猶予をくださると幸いです。 オジサンになってしまったのは仕方ないとして、でもいつまでも小綺麗で、清潔感を忘れずにいたいですね。 髪を染めました。骨折以来なので半年はゆうに経っています。やはり黒々とした髪は若く見え素敵です。ハゲはもうどうしようもないので、そこには抗わず、ハゲを生かした素敵オジサマになっていきたい所存であります。 ではまた。
「リハビリの順序を間違っていた!?」 【↑牛肉美味し】 コバ・ジュンです。 毎日毎日、たい焼き焼いている、おじさんの方がイヤになっちゃって〜 とは、所ジョージさんの「泳げたいやき屋のおじさん」の歌詞です。 まぁそれは置いといて、 先日、3ヶ月ぶりに髪を切りに行きました。次の日には姉の家で美味しい料理をご馳走になりに行きました。 どちらもかなりの急坂を乗り越えたところに位置するのですが(野毛と屏風ヶ浦)、それを終えてひとこと。 「全然リハビリできてねえじゃん」 左足の骨折が7月上旬。すでに5ヶ月を経過しているにも関わらず、まだまともに歩くことができていません。「これは筋肉が衰えているからだな!うん!じゃあ太ももの筋肉を鍛えなきゃ!」と、自転車を漕いだのは良いのですが、どうやらそれではダメだったらしく、いざ歩いてみたらなんだか左右のバランスがおかしい…。 結局、「まずは歩くのが大事」だということに気がつきました。スネの筋肉痛が猛烈にひどいですが、頑張って毎日歩いてますよ。そして腹筋ローラーもしていますよ。 クビは勘弁してください>事務所へ ではまた。
「今日はサシで一杯やろう」 【↑4歳の誕生日かな?真ん中は姉貴】 コバ・ジュンです。 12/16は父親の命日です。今年は母の命日とともにiPhoneのリマインダーに入れておいたので忘れませんでした(笑)ひどい息子だとお思いになる方もいるでしょうが、そんなもんなんですよ実際。 えっと、亡くなったのいつだっけ?確か「日韓W杯」の前年だから…と、何かと相対化しないと忘れちゃう。本来なら亡くなった年を基準に考えねばいけないところを、このていたらく(笑)ひどいでしょー? 来年大学受験の甥っ子が生まれたのが2002年の4月です。あと5ヶ月生きてりゃ初孫に会えたものを、何やってるんでしょうオヤジは。老いてから(というかボケてから)とにかく食事だけしか楽しみがなくなったらしく、まぁ詰め込む詰め込む。飲み込めないのに詰め込みまくって、そのあげく食べ物を喉に詰まらせ亡くなってしまいました。 公立の老人ホームに預けてから2年くらい経っていたのかな。朝、ボクが起きると携帯の留守電とメールフォルダがパンパンになっていて、見たら「死去」の報せ。都内の女(付き合ってない)の家でそれを見たボクは、急いで自宅に戻りました。すると、冷たくなった父はもう棺桶に入れられ、自分の建てた家の和室に静かに寝ていました。そこからは怒涛の日々。各種手続きやら葬式やら香典返しやら、もう目の回るような毎日。あまりに忙しかったせいか、細々としたことは忘れてしまいました。ただ、喪主挨拶でウケを狙ったらダダすべりしたのだけは覚えております。 もう18年だってよ。早えよなあ。なんだかんだまだあなたが生きてた痕跡はこの家に残っているよ。ホームで楽しかったんだろうイベントの写真とか、さらには給料袋までも手付かずのままで残っているよ。もうすぐ築50年を迎えるこの家も、いろいろなところにガタがきている。あなたに似ず手先が不器用なオレには、網戸の修理だけで精一杯。そういえば縁側とか作ってたよね。もうボロッボロだけど、残念ながらオレには作り直す技術はないので、申し訳ないがこのままいくと思う。でも、オレが小6で母を失ってから、ずっと飯を作ってくれて、弁当も作ってくれて。オレが高校に入ってからは夕食の当番はオレになったけど、そのおかげか、自己流なりにも飯が作れるようになったのは、知らず知らずの、実はあなたからのプレゼントだったんだと思う。気付けば家事全般は出来る様になってたしね。その弊害か、いまだに独身だけどね。まぁそれはあなただけのせいではないか(笑) 日記を書くにあたり、そんなあなたとの写真を探してみたけれど、ほとんどないのに気がつきました。母との写真はたくさんあるけどね。理由はわからないけど、とにかく少ない。2ショットに限っては本当にない。写真嫌いだったのかな。 このところ墓参りに全然行けてなくて申し訳ない。車がないと実に行きにくい場所でね。なんであんな遠くに買ったかね。まぁそれは置いておこう。今日はあなたの好きなアサヒスーパードライを買ってきた。存分に飲んでくれい。 ではまた。
「関係性によっては…」 【↑心臓破りの坂】 コバ・ジュンです。 土曜日の夜、姉夫婦の家に招待されたので遊びに行ってきました。これはボクの誕生日に絡め、毎年この時期に開いてくれるもので、一年の中でも楽しい催しです。 今年、二人にはボクの骨折により色々と迷惑をかけたりもしたので、先日作った柚子胡椒とビールを持って、テクテクと出かけたのです。ボクの家から電車で15分ほど、さらにそこから徒歩20分くらいの坂を昇った場所にあるのですが、年々その坂がキツくなってくるのを感じます。特に足の痛みと衰えによって、今年はついに途中で休むハメに。足の前スネの筋肉がとにかく痛む。 お酒を飲んで料理を食べて、普段はあまり観ないテレビを観たりして…。そうこうしているうちに、塾に行っていた甥っ子が帰ってきました。かなり勉強を頑張っているようで、どうにか現役で合格して欲しいところです。しかし、ついこの間生まれたと思っていたらもう大学受験なんて、世の流れは早いものですね。 一旦話がズレるのですが、ボクは基本「奢られ飯」が好きではありません。そりゃご飯食べてお酒飲んでは大好きですよ。でも「ごっつぁんです」体質ではないので、どうしても気を使ってしまうのです。心から楽しめないというか…。なんとなく分かってもらえたら嬉しいです。 でも、こういった血の繋がりがある同士、親戚同士との集まりですと、結構遠慮なくバクバクいってしまいます。そういった関係性を持っているということに対し、いつまでも感謝を忘れないようにしたいですね。 そして、新しい知識をたくさん仕入れることもできました。やはり人との直接の会話は大切。顔を突き合わせて話すからこそ、その表情、話し方などなどにより相手の考えなり、どうしてこういう話が出てきたなど感じ取ることもできます。これはネットでポチポチ会話しているときには経験できないものですよね。 翌朝、起きたら甥っ子はすでに勉強をしていました。それもiPhoneでストップウオッチをかけながら。どういうことなのかと問おうとするも、邪魔をするのもアレなので推測にとどめますが、「一問に何分時間をかけてよいのか」など実践的な対策なのでしょう。 自分の時、そこまでしてたかなあ?と思いつつ、少子化でどこの大学もウェルカム状態と思っていた自分を恥じました。受験戦争はいつの時代も変わらないものです。 9時前後に家を辞し、我が家に帰ってきました。左足の筋肉痛がとにかくひどい。こりゃ自転車だけではなく、普通に歩くことも練習しなくてはダメだなと感じました。はぁ、怪我なんかするもんじゃないですな。併せて病気も。ますます健康を気にしていかねばならないと思う師走のある一日なのでした。 ではまた。
「ひさびさの散髪」 【↑丸いなあ…。骨なんて折るもんじゃないね】 コバ・ジュンです。 金曜日、天才ヘアアーティストであるO君の元へ、髪の毛のカットに行ってまいりました。毎度オーダーするのは「薄いのは分かってるから、それを隠す方向ではなく、生かす方向で」というもの。で、今回は今までよりもさらに攻めて欲しいとお願いしました。 よく勘違いされるのですが、薄くなるのは仕方のないことなので、そこまで気にしてはいないのです。「薄い」のは気にしてますが。この微妙なニュアンスの違いは分かっていただきたいところ。 で、一番嫌なのが、薄毛を隠す髪型。いわゆるバーコード的なやつですね。それをするくらいならば、とにかく短髪で、でも小綺麗な感じを保っていれば十分と思うのです。 幸い、O君はそういった事情を分かってくれているので、安心して任せられるのです。 結果、上の写真のようになりました。さすがのO君。オーダー通りに仕上げてくれました。出来れば一ヶ月に一度くらいの頻度で通いたいのですが、なかなかそうもいかず。せめて二ヶ月に一度は心がけたいですね。 もう外は完全に冬ですね。防寒をしっかりしないと、とても自転車は漕げません。年末に向けて出かける機会が多くなるのですが、防寒と風邪対策をしっかりとして、来年を迎えたいと思います。 ではまた。
ontology.364(シワス一週目)
「それが、わたしの、いいと・こ・ろ♪」 【↑気分転換には最適】 コバ・ジュンです。 先日、かなり気分的に凹んでしまうことがあり、本当に、本当に「ぐへえ」という気持ちでした。例えるなら、友人のプロ野球選手がサヨナラホームランを打ち、それでそのチームは念願の日本一になり、彼も年間のMVPに選ばれ万々歳。一方、そのボールは、スタンドで応援していたボクの股間に当たり…。 まぁそんなことがあったわけです。 でも、なんか日をまたぎ、色々な人とエロ話したり、くだらないことを繰り替えしていたら、「今のところは」どうでもよくなりました。人間ってのは冷たい生き物です。特にボクなぞは。そう考えるようにしましょう。そうした方が健全なのですから。すぐに気分を切り替えられる(ボケ始めているので忘れているともいう)のが、ボクのよいところなのかもしれません。ウジウジといつまでも悩むように見えるでしょう?でも実際はそんなことぁないのです。「めんどくせ」精神が根幹にある人ですから。 そして今、わたしは思っています。明日からもこうして生きていくだろうと。 ではまた。
「自分流のアレンジをくわえて、コバ・ジュンの味を」 【↑鶏ムネ肉のレンジ蒸し。簡単で美味しい!】 コバ・ジュンです。 最近毎日「下界」に降りています。簡単に言えば「坂の下のスーパーまで自転車で買い物に行ってます」との意です。これは足のリハビリも含めているとともに、「痩せねば!」という思いがあるからです。骨折ってのは大変なことだったんだなあと今更ながら。 補助器具なしに外を歩けるようになって「よし、これで社会復帰だ!」と感じ、そんな折、ふと家の洗面台の鏡を見たらば愕然としましたね。 「なんだこのデブじじい」 仕方ないといえばそれまでですが、その時はもう最悪な心地。人に見せられる姿ではない。そして決心しました。とにかく減量しよう。まずはそこから。なので毎日自転車を漕ぐようにしたのです。一回で済む買い物を、わざと二日に分けたりして。 プラス腹筋コロコロマシーンも稼働。ただこちらはいきなり多い回数で始めるととんでもないことになるので(こむら返り)、毎日一回ずつ回数を増やしています。 話ずれましたね、本題いきましょう。 現在副業として、某記事を書く仕事をしています。始めた頃はとにかく厳しいレギュレーションに捉われ、「こんなの続けられねえ」と匙投げ状態。 しかしです。 本数をこなすうちに、ようやく「自分流」を加えられるようになってきました。以前何かで読んだ、ある伝統芸能の師匠の話をしましょう。その世界に入り稽古を始めた頃は、とにかく同じことの繰り返しでつまらなかったそうです。で、ある時の発表会で「こうしたらもっと面白いのでは?」とアレンジを加えて披露したら、当時の師匠にこっぴどく怒られたそうで、それを受け「ああ、やはりここはそういう世界なんだ。変化はないんだ。つまらないな。もうやめようかな」とまで思いつめたということです。 が、 なんとかその後もやめずに続けていたところ、ふとある時、「型にはめられてると思うものでも、アレンジを加えられる箇所、つまり自分を表現できる箇所があるじゃないか」、と気づいたそうです。そして、その方は今でもその芸を続けています。 それに伴うボクの話。毎日ウンウンと唸っている中、最初のうちは戻ってくる原稿に「うええ」と吐きそうになっている中、近頃はほぼ一発OKで公開されるようになっています。直されるのは「コレどうかなあ?いいや、冒険しちゃえ!」と提出した箇所くらい。もちろん細かな訂正はあるのですが、それは単純にボクのミス。「OKです。これからもこの調子でお願いします」と返信があった時の嬉しさといったら。もっともその時は次の原稿にかかっているので、細かな直しを確認するくらいに留まるのですが(苦笑)。 これはどんなことにも共通しているのかな、と。先日、「ギターが下手くそで本当に嫌」という日記をupしましたが、続けていればまた違った面が見えてくるのかもしれません。下手なのは変わらないでしょうが、例えばですよ、もしかしたら「下手くそギターの名手!」なんて道だって開けないとは言えません。希望的観測ではありますが、「芸は身を助ける」という言葉を胸に、「こういうことも出来るよ?」と、未来を見据えた何かを持ち続けることこそ大事なのかな、と感じました。 具体例をあげます。ある舞台に出演した際、芝居中に歌が流れるシーンが何度かあり、まだそれが録音されていない時に、稽古中にボクが生歌で歌ったことがあります。すると演出とプロデューサーから「これ、舞台でも生でやったらどう?」との提案があり、実際その通りになったことがあります。それに合わせて出演シーンも増え、演出も変わり…。嬉しかった出来事のひとつです。 長くなりました。正直、日々衰えていく身体に抗うことはできません。しかしながら、その老けた身体と上手に付き合っていくことはできるはずです。落ちていく判断力・ほほ肉、悪くなる滑舌・記憶力、出てこない言葉、キレの悪いおしっこ…。現実の厳しさが突き刺さる中、「これが今の俺なんだよ。でもな、頑張ってるだろ?」といつまでも言い続けられる自分でありたいです。たとえ血圧が150/100とか、とんでもない値が出たとしても(12/9現在)。 ではまた。
「好きとか、嫌いとか」 【↑生姜焼きは好き】 コバ・ジュンです。 好きとか、嫌いとか。 なんでしょうね。難しい言葉です。 最初に言い出したのは誰なのでしょう。 あれ?なんかコレどこかで聞いたことあるぞ? はい、初代「ときめきメモリアル」の主題歌ですね。懐かしい。もう30年近く前に夢中になったゲームです。 『好きとか、嫌いとか、最初に言い出したのは、誰なのかしら』 ホント、誰なのでしょう。なぜ人間にはこんな感情が生まれたのでしょう。遺伝子的に考えれば、自分に足りないものを求めるということ、それは間違ったことではありません。 俺は鼻が低い。対して俺が好きな子は鼻が高い。つまり、そんなふたりが融合したらちょうどよい鼻の高さの子供が生まれるのではないか?要はDNAです。自分が持ち合わせていないもの、劣っているものを、他から吸収しようとするのです。ブサイクな人間が素敵な方を求めるのは、どうしようもないのです。なんたって遺伝子による命令なのですから。 反対に、とても見た目の良い方が、一般的に見れば「う〜ん」という見た目の方を求める場合もあります。これもDNAの仕業なのです。そうなるともう完全に遺伝子に操られるだけの存在。見た目以外で、自分に足りないものを求めたのでしょう。例えるなら「餌を取れる能力」やら「生殖力が強い」やら、つまりは未来に種を残していけるかどうかが重要なのです。 昨今の日本の少子化問題ですが、これは経済やらそういったことを抜きに、「この地球の最後が近付いている。そんな折、自分の子孫を残してはいけないのかも」という未知なる力が無意識のうちに働いているのかもしれません。考えることが好きな日本人。そういった思いがあったとしても不思議でないと感じませんか? 知らんけど。 ではまた。
「名古屋行きは何番ホーム」 【↑タンパク質多めでいきます】 コバ・ジュンです。 "外の景色が変わって行く中で 人とのかかわりがわずらわしくなり 1人の男であった筈だと 真実を隠したまま旅に出た" はい、吉田拓郎さんの名曲「大阪行きは何番ホーム」ですね。聴くたびに自分の人生が何であったかを考えてしまいます。過去形になってますが、もうそれでも良いでしょう。 "女は男より賢かったけれど 男は愚かさに身を任すだけ 何故愛したのかと問われても ただ押し黙るだけになっていた" 重い!重過ぎます!男女の「恋愛観」の差が、この短い歌詞に凝縮されていますね。とはいえ、これが「生活」に直に関わってくると、男女の立場は逆転します。 以前ネットで面白い記事を読みました。「男女の会話がなぜこうも異なるのか」というものです。それによると、遥か原始時代に遡るようです。 男の会話→解決が重要(マンモスを倒せ!それには今どうするのが最適か!?) 女の会話→共感が重要(木の実がとれたよ。へー凄いね素敵) なるほど。分かり過ぎるくらい分かっちゃいますね。例を挙げると、 男「電気つかねえ」 男「玉が切れてない?ブレーカー落ちてない?電気代払ってる?」 男「おう、ちょっと調べてみるわ」 女「電気がつかないの」 男「玉が切れてんじゃないk」 女「なんでかな。レンジも動かないからお腹すいた」 男「ブレーカ」 女「そうじゃなくて」 別にdisってるわけじゃないですよ。炎上も狙ってませんからね。ただ、ボクの実体験でもこういうことを数多に経験してきましたので、参考までに述べたまでです。 …何を書こうとしたか忘れちゃったじゃん!そうそう、年明け早々なぜか名古屋に行く用事ができてしまいました。正直「へ?」な気持ちが強いのですが、早いとこ詳細を確認して、次の日の朝までには絶対に地元に帰って来ねばならないという綱渡りプロジェクト。「名古屋行きは何番ホーム」。交通費出してくれるんだろうな?とりあえずいきなり忙しいことに巻き込まれてしまいそうです。 "今 東京駅に立ち尽くす僕は 長すぎる人生の繰り返しと同じ 大阪行きの電車は何番ホーム 繰り返し繰り返し旅に出ている" ではまた。 「大阪行きは何番ホーム」吉田拓郎
「英語の習得方法」 【↑焼き鳥美味し】 コバ・ジュンです。 ちょっと面白い話を聞きました。 日本人が、なぜ英語を習得するのが苦手か。 さて、皆様は英会話ができますか?ボクはまったくできません。洋画を見てセリフを聞き取ろうとしても、どこで区切られているかわからず、ツラツラーっと流れていってしまいます。 「ディス イズ ア ペン」くらいSlowlyに話してもらえば理解できるのですが、当然そんな話し方をする方はいませんよね。大抵が「ジィシザペェー」と話してきます。なんたってジャムおじさんを「ジェメェジスゥン」と話すくらいですから。 当たり前なのですが、単語でとろうとしてしまっているのがダメなのですよね。きちんと会話として、いちセンテンスとして理解をしていないと。 でです。 日本語というのは、英語に比べて周波数が低いらしいのです。ヘルツでいうと1200Hz。 対して英語は1500Hzと、高くなっています。どういうことかというと、英語というのは、日本人の耳には聞き慣れている周波数より高い音なので、脳がノイズとして認識し、情報をシャットダウンしてしまうというのです。 良い例があります。我らが夏に聞く「セミ」の鳴き声。「うるさいなあ」と思う時もありますが、映画やドラマのSEとして使われている場合、それをうるさいと感じますか?普通に「ああ、セミが鳴いてるなあ」くらいの認識と思われます。 ところがこれを英語圏の人間が聞くと、とんでもない雑音に聞こえるということです。「oh!What's?コレハイッタイナンノオトデスカ!?」くらいに。慣れもあるのでしょうが、そこでギプアップする方もいるらしく…。 幼少の頃から鍛えられていればそんなことはないのでしょうが、大人になって脳の言語野が固まってしまうと、受け入れられないものが出てくるようです。子供の方が多言語を習得しやすいというのはこういったことからですね。 しかし安心してください。頭の凝り固まった日本人でも、英語を話せるようになるかもしれないという素晴らしい方法がありました!それは… 「モーツァルトの音楽を聴く」 です。モーツァルトの楽曲の高い部分は、周波数が1500Hz。つまり先ほど書いた英語の周波数と一緒です。なので、一日1時間でもモーツァルトの音楽を聴き、それを数週間続けた後に英会話の勉強を始めたら、次第に脳もその周波に慣れてきて、英語が「スッ」と入ってくるという話です。 ホントかなあ〜(笑)。自分で書いているにも関わらず、「セミ」の話の段で少し引っかかってしまいました。英語よりセミの方が周波数高いんじゃないの?電話ではセミの声が聞こえないってのは、周波数高いからなんじゃなかったっけ? まぁ本当かウソかは置いといて、モーツァルトを聴く分には、心の平静だったり良い抑揚に繋がってくるとは思いますので、試してみる価値はあると思います。 よし、じゃあコバ・ジュンも早速「子犬のワルツ」でも聴いて、英語習得力を身につけていきたいと思います!あ、これはショパンか。アーマーデウスー♪ 今回の話は、以下の動画を参考にいたしました。 ではまた。
「終いにゆく道(ついにゆくみち)」 【↑柚子胡椒、今年も完成しました】 コバ・ジュンです。 YouTubeにて、大好きな古舘伊知郎さんの「トーキングブルース」や、オールナイトニッポンでのしゃべりを見つけたので、エンドレスで聞いています。 最近「言葉」を欲している自分がいます。 SNSでもつぶやいたのですが、「横書きの文章を読むより、縦書きの文章を読む」ことを心掛けた方が、言葉のイマジネーションが広がると気付きました。これは、子供の頃から学習し、そして刷り込まれたことに関係することなのでしょう。横書きは他人の文章、縦書きは自分にも関わってくる文章。そのくらいの違いを感じる昨今です。 少し前は落語を聞いていました。そして古舘さんに辿り着きました。新日本プロレスの実況をしている頃からそのしゃべり(実況)が大好きで、後にF1の実況などで「うるさい!」と言われている際も、これこそが古舘さんじゃないか!と反論していた覚えがあります。 もっと書きたいことがありますが、それはまたの機会にします。とても一日分の文章で書ける内容ではありませんので。 報道ステーションをやめ、また自由なステージにおいてしゃべりを続けてくれるであろう古舘さんを、これからもずっと聞き続けていきたいと思います。 ではまた。
「師走でおます」 【↑青唐辛子の束。取り扱いには注意が必要】 コバ・ジュンです。 師走ですな。タイトル「師走でおます」って。なんだか毎年12月最初の日記はこんな感じで始まるなあと思い、過去3年分を振り返ってみました。 2018年「早くも師走」 2017年「師走かあ」 2016年「発熱」 まぁこのボキャブラリーの無さったら。しかし、なんだかんだ日記をつけてると、当時の自分が知れて面白いものですね。webにはサーバーの容量上、4年分しかupしていないのですが、遡ると2002年の4月から書いているので、もう17年も続けていることになります。去年の今頃は、もう柚子胡椒も完成し、火鉢も稼働させていました。クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観に行ったのももう一年も前なのかあ。早過ぎますって。 去年の日記はコチラ 外では雨が降っています。結構な大雨です。先週中ずっと空模様が不安定で、週末やっと晴れた!と思ったらまたコレ。うああと気分が凹んでしまいます。何よりちょっとした買い物にも行けないのが困りものです。バスやらを使えば行けないことはないのですが、交通費もかかるし、発車時刻にも左右されちゃうし。ただ、利点として、チャリでは持って帰ってこられないような大荷物を買うことも可能なので、どっちもどっちとは言えるのですけどね。 さて、夜も更けてまいりました。余も老けてまいりました。今月、またひとつ年齢を重ねます。去年より何かしら成長はしたのかな。「骨折したらこう生きるべし」くらいしか手には出来なかった気もします。でもまだあと一ヶ月あります。残りで何かこうパーッッッッと派手なことおこらないかなあ。例えば庭から石油が出てくるとか。いやいや、そんなのは高望みし過ぎですね。もう少し小さな願い、「ロト6、toto BIG、年末ジャンボで高額当選する」くらいでいいです。 ではまた。